UCB(カリフォルニア大学 バークレー校)で応用物理学を専攻するが、Jazzへの思いから中退。
バークレーの友人やミュージシャン達と毎晩のようにセッションを楽しむ。
(だが、学費ローンのために始めたアルバイトがきっかけで、一時はサンフランシスコの摩天楼でビジネスマンとして働いていた事も…。)
26歳(1982年)で、サンフランシスコにてJazz Pianistとしてプロデビュー。
ベイ・エリアで活躍するボーカリストFaye Carol(フェイ・キャロル)のバンドで、有名ライブハウス(主に下記)に出演、同バンドのコンコード・ジャズ・フェスティバル、ヨーロッパ・ツアーで活躍。
・Great American Music Hall http://www.musichallsf.com/
・Kimball's East
この頃フェイから言われていた言葉、
“どんなスタンダード・ナンバーにもBluesがある。あなたの責任はそのBluesを探して音にすること。” を、今の活動でも大切にしている。
この頃から、ツアーで色々な国へ行き、その国の文化に触れることも音楽の目的、と考え始め、
日本公演先で知り合い結婚した妻の近い親族、喜多流能楽 狩野派の能公演への感動は、
現在の和洋コラボレーションへの端緒となる。
サンフランシスコ Pearl's(下記)では、After
Hour Session※ のホスト・バンドを勤め、
当時の共演ミュージシャンは、Jaco Pastorius(b)、Eddy Henderson(tp)、Ernie Andrews(vo)、
Ed Blackwell(ds)--当時Ornette Coleman(sax)バンド、Lew Tabakin(Ts)、John Hicks(p)、
Ray Drummond(b)、等、多数。
・Jazz at Pearl's http://www.jazzatpearls.com/
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※After Hour Session
メインのライブ・アワーを終えてからのセッション。1:30am〜5:30am頃の時間帯。
当時サンフランシスコには5,6件のJazz Clubがあり、ライブ演奏を終えた多くのミュージシャンがセッションを楽しんだ。
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1986年、当時64歳のBluesSinger Jimmy Witherspoon(vo,g)、Richie
Goldberg(ds)、Wyatt Ruther(b)達と共演。
(Richie Goldberg(ds)はRay Charlesバンド、Rahsaan
Roland Kirk(sax他)との長年の共演メンバで、Wyatt Ruther(b)はErroll Garner(p)の名曲Misty
初演時の共演者。)
その後、1988年に名古屋のJazzClubの出演依頼により来名、日本での活動を開始する。
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